長法寺南原古墳

ふりがな
ちょうほうじみなみばらこふん 
時代
古墳 
所在地
京都府長岡京市長法寺南原 
緯度経度
 
遺構概要
集成、古墳(前方後方墳)。<立地>丘陵頂部。前方部2段・後方部3段(裾部に低い段がもう一段巡る)、方位N165度E、造出(陸橋あり)、周濠(浅い溝状)、墳長約62m、後方辺約44m・高6.4m、前方幅28m・長18m・高4m、くびれ幅約20m、葺石なし、 (第1主体)後方部、棺:割竹形木棺、槨:竪穴式石槨、壁体には砂岩と緑色岩類が多く、蓋石には石灰岩・砂岩・チャート・頁岩・粘板石を使用、内法長約5.3m・高約1.35m・幅1.1m〜1.0m、・主軸とほぼ平行、排水施設あり、遺体:頭位N3度W、 (第2主体)前方部、竪穴小石槨、内法長約1.7m・幅約0.3m、礫敷、主軸とほぼ直交、排水施設あり、遺体:(主体はほぼ南西)。 歴博報56、古墳前期-古墳(前方後円墳、竪穴式石室+割竹形木棺)、墳長60.0m。 
遺物概要
集成、埴輪(円筒埴輪(ひれ付円筒埴輪あり)+朝顔形埴輪II式)+土師器(壺小片)、(第1主体)長宜子孫内行花文鏡1+平縁式盤竜鏡1+三角縁唐草文体二神二獣鏡2+三角縁鋸歯文帯四神四獣鏡1+三角縁獣文体三神三獣鏡1+硬玉製勾玉6+碧玉製管玉19+ガラス製小玉287+鉄剣7以上+鉄刀1+鉄槍2+鉄鏃123+刀子7+斧12+鑿1+ヤリガンナ5以上+石臼2(1つは槨外天井部)+石杵1。 ほかに本古墳のものと推定される銅鏃2。 歴博報56、長宜子孫内行花文鏡(鈕座<文字>「長宜子孫」</文字>、完形13.1cm、1934年出土、東博蔵)、 平縁式盤龍鏡(銘帯<文字>「青蓋作竟四夷服 多賀国家人民息 胡虜殄威天下復 風雨時節五穀格孰 長楽己」</文字>、完形11.5cm、1934年出土、東博蔵)、三角縁鋸歯文帯四神四獣鏡(銘帯<文字>「天王日月」</文字>、完形23.0cm、1934年出土、東博蔵、同笵鏡:大分県赤塚、京都府椿井大塚、 奈良県桜井茶臼山)、三角縁獣帯三神三獣鏡(銘帯<文字>「君」</文字> <文字>「宜」</文字> <文字>「高」</文字> <文字>「官」</文字>、完形22.7cm、1934年出土、東博蔵)、 三角縁唐草文帯二神二獣鏡2面(銘帯<文字>「天」</文字> <文字>「王」</文字> <文字>「日」</文字> <文字>「月」</文字>、完形21.5cm、1934年出土、東博蔵、同笵鏡:兵庫県ヘボソ塚、大阪府石切神社、京都府西車塚、長法寺南原、奈良県佐味田宝塚ほか)、伴出、勾玉+管玉+斧+鑿+棒状鉄器+刀+剣+銅鏃+鉄鏃+石臼+石杵 
発掘概要
集成、1934年、京都府が後方部主体を調査。1981年〜1984年・1989年、市教委・大阪大学が調査。 
その他概要
梅原末治「乙訓村長法寺南原古墳の調査」(『京都府史蹟名勝天然紀念物調査報告』17、1937)。小林行雄『古墳時代の研究』(1961)。樋口隆康『古鏡』(1979)。京都府立山城郷土資料館・京都府立丹後郷土資料館『鏡と古墳-景初四年鏡と芝ヶ原古墳』(1987)。東博『東京国立博物館図版目録・古墳遺物篇』近畿1(1987)。 大阪大学南原古墳調査団『長法寺南原古墳』1・2・3・4(1983・1984・1985・1990)。『前方後円墳集成』(和田晴吾、1992)。都出比呂志・福永伸哉編『長法寺南原古墳の研究』長岡京市文化財調査報告書30(1992)。歴博報56(1994)。『前方後円墳集成』(有馬伸、2000)。 
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卒論使用古墳』 登録遺跡数:50 ブタのご主人様 2008年11月29日 4時20分
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