勝瓜南原古墳群

ふりがな
 
時代
古墳 
所在地
栃木県真岡市下籠谷字南原、勝瓜 
緯度経度
36.473333, 139.965278 
遺構概要
古墳群(前方後円墳ほか)。<立地>台地。<現況>山林 
遺物概要
 
発掘概要
 
その他概要
LCa4/ON175/PN/、旧名 南原古墳群、県通番号4405、市番号34、県埋文地図1997.3。<25000分の1地形図>NJ-54-30-2-1。 <全国遺跡地図番号>18-137 
閉じる

勝瓜南原古墳群の関連する遺跡グループ (0)

勝瓜南原古墳群の関連する遺跡グループはありません。

勝瓜南原古墳群の写真 (0)

勝瓜南原古墳群の写真はありません。

勝瓜南原古墳群のコメント (1)

名無しの冒険家(井頭山人) 2019年3月7日 9時9分
現況の勝瓜古墳群は、ソーラーパネルの設置の為に、クヌギの林は伐採され土を掘り起こされて、古墳自体は存亡の危機に晒されている。過って、昭和20年1月5日と7日に、地元の考古研究者である佐藤行哉氏よって為された踏査調査によると、勝瓜古墳群は、方墳から前方後円墳そして円墳へと、比較的密集した土地に16基が手書きの地図に記載されている。手元の資料を見ると、長くクヌギ林の中に静かに存在していたが、それでも大正14年頃には、庭石を求める発掘盗掘が行われ、古墳の横や上方が堀荒らされた跡があると、佐藤行哉氏のノートには記録されている。当時も古墳を破壊しても玄室の石を取ろうとする、邪な連中は居たのである。この事からも、すでに破壊の跡があると思われる。 また、なぜこの鬼怒川左岸の河岸台地に多くの古墳が密集して居るのかについては、正しい根拠が不明だが、此処は西の開けた風光明媚な土地で有り、被葬者の浄土へのあこがれがこの土地を選ばせた可能性は多々ある。ところが、この河岸台地は鬼怒川の川面から25m~30mの台地であり、調べたわけではないが、年に数センチのレベルで崩れて後退している。前方後円墳の造営が6世紀だとすると、現在では約1500年の歳月が経過している。年平均3cm後退すると、当時から45mは崩れ落ちている。5cmとすると75mも後退している。事実、佐藤行哉氏の踏査時には、ある前方後円墳は縦に半分ほどが、鬼怒川の川面に崩落して居る様に見取り図には描かれており、玄室の巨石の一部は川原に転がり落ちている可能性は大であり、時間がないので調査できずにいるが、出来るだけ早い時期に調べてみる必要があろう。(井頭山人)