谷口古墳

ふりがな
たにぐちこふん 
時代
古墳 
所在地
佐賀県唐津市浜玉町谷口字立中876 
緯度経度
33.452750, 130.054722 
遺構概要
集成、古墳(前方後円墳)。<立地>城山から西南西にのびる尾根の先端部。標高15m、西側の水田からの比高12m、前方部1段・後円部2段、 方位N150度W、造出なし、周濠なし、周庭なし、墳長77m、後円径40m・高8m・頂辺16m、前方幅24m・長約45m・高3.5m、くびれ幅約20m、 葺石あり、墳形は前方後方墳の可能性もある、 (第1主体)位置:後方部頂東側、棺:長持形石棺 松浦砂岩 長1.95m・高0.85m・幅0.5m、槨:竪穴系横口式(合掌式)、玄武岩、長2.9m・高2.1m・幅1.6m、主軸と平行、遺体:頭位N31度W、乱掘:1908年盗掘、 (第2主体)後方部頂西側、長持形石棺 松浦砂岩 長2.45m・高0.98m・幅0.9m、竪穴系横口式(合掌式)玄武岩、長3.16m・高1.4m以上・幅(奥)1.86m(前)1.40m、主軸と平行、遺体:頭位東北東、 (第3主体)前方部やや先端寄り、棺:舟形石棺 松浦砂岩 長2.21m・高0.52m・幅0.74m、直葬、主軸と平行、 (第4主体)くびれ部西側、棺:土師器壺、直葬、遺体:頭位N32度W。 歴博報56、古墳前期-古墳(前方後円墳、横穴式石室+持形石棺)、墳長77.0m。 
遺物概要
集成、埴輪(円筒埴輪II式)、第1主体-位至三公鏡1+倭製三角縁三神三獣鏡2+四獣鏡2+硬玉製勾玉5+碧玉製管玉292+ガラス製勾玉3+ガラス製小玉1553+真珠1+勾玉1(破損消失)+碧玉製釧11+鉄剣1+鉄刀10以上(現存せず)+鉄鏃(現存せず)+斧1、第2主体-倭製三角縁三神三獣鏡2+竪櫛1+剣5+刀1+鉄鏃1+鎌か1+斧1+錐か1+ヤリガンナか1、 第3主体-碧玉製管玉2+剣2+副葬遺物は現在、東京国立博物館が保管。三角縁神獣鏡は福岡一貴山銚子塚・岐阜長塚・大阪ヌク谷北塚・大阪阿武山・滋賀天王山・関家所蔵品と同笵。 歴博報56、倭製獣文帯三神三獣鏡(銘文なし、完形21.6cm、1908年出土、東博蔵)3面、以下(1908年出土、東博蔵)共通、 倭製吾作三神三獣鏡(銘帯<文字>「吾作明竟甚蜀保子宜孫富無〓奇」</文字>21.0cm)、位至三公鏡(内区<文字>「位至三公」</文字>、完形8.2cm)、四獣形鏡(銘文なし、完形8.3cm)、捩文鏡(銘文なし、完形7.2cm)、 伴出、硬玉製勾玉+ガラス製勾玉+碧玉製管玉+ガラス製小玉+真珠製小玉+鉄斧+鉄鏃+鉄剣+鉄刀+石釧。 
発掘概要
集成、1952年7月県教委、1967年5月九州大学、1986年〜1991年町教委により発掘調査。 
その他概要
LCb1/ON/PN4893/。<全国遺跡地図番号>3-10。国史跡指定。旧、東松浦郡浜玉町。 梅原末治「肥前玉島村谷口の古墳」(『佐賀県文化財調査報告』2、1953)。佐賀県立博物館『鏡・玉・剣』(1979)。佐賀県教委『佐賀県遺跡地図(東松浦地区)』(1982)。県Map82、5-4-D-3025。亀井明徳ほか「谷口古墳」『末廬国』(1982)。佐賀県立博物館『佐賀の名宝 いろとかたち』(1990)。 家田淳一編『史跡谷口古墳保存修理事業報告書』(浜玉町教委、1991)。『前方後円墳集成』(田平徳栄、1992)。歴博報56(1994)。 蒲原宏行「浜玉町谷口古墳の遺物出土状況について」(『佐賀県立博物館・美術館報』105、1994)。『前方後円墳集成』(蒲原宏行、2000)。 
閉じる

谷口古墳の関連する遺跡グループ (2)

三角縁神獣鏡出土遺跡』 登録遺跡数:39 あぶくまアカデミー 2010年2月23日 8時4分
座標の明らかな古墳
卒論使用古墳』 登録遺跡数:50 ブタのご主人様 2008年11月29日 4時20分
卒論に使う古墳です

谷口古墳の写真 (0)

谷口古墳の写真はありません。

谷口古墳のコメント (0)

谷口古墳のコメントはありません。