椿井大塚山古墳

ふりがな
つばいおおつかやまこふん 
時代
古墳 
所在地
京都府相楽郡山城町椿井三階ほか 
緯度経度
34.765750, 135.849944 
遺構概要
古墳(前方後円墳)。 町報17(古墳前期初-後円部段築成(3段葺石)。 町報18(古墳前期初-後円部段築成(2段葺石)(墳頂平坦面)後円部埋葬主体墓壙21m×13m(方形))。 集成、古墳(前方後円墳)。<立地>丘陵先端部。標高約50m、前方部2段か・後円部4段、方位N97度W、墳長約175m、後円径約110m・高約110m、前方幅約76m・長約80m・高約10m、墳頂部に二重口縁壺形土器が置かれていた可能性あり。葺石あり、 (内部主体)後円部中央、棺:割竹形・槨:竪穴式石槨、側壁は花崗岩と安山岩板石、蓋石も安山岩、内法長約6.9m・高3m・幅1.03〜1.15m、 主軸と斜交、遺体:頭位N10度E、乱掘あり。墓壙上端で長約21m・幅約13m・深さ推定5m、壁面は階段状を呈する。竪穴式石槨の西約3mのところに、砂利を敷いた上に粘土を配した施設があったという。鏡のうち3面はここから出土。 町報21(古墳前期初-墳丘(後円部四段・前方部二段築成・西向き・葺石・前方後円墳)全長約175m、後円部直径約110m、後円部高さ約20m、墳丘の基盤:後円部と前方部を上下二段の段丘面上に盛土して造り分けている。基盤の周囲は地山の削出しと盛土により整形。後円部背面の変形後円部背面側のみ四段ではなく三段築成。地形に制約された施行上の省略。 設計上の全長は約190m。墓壙斜面の土嚢積み確認前方部テラス祭祀遺構築造時期決定土器資料出土(壺・甕・高杯・器台)。前方部墳頂ベルト状盛土前方部築造時の中軸線と考えられる盛土。 府Map2003、古墳前期前半-竪穴式石室。円高20m。<立地>丘陵端。<保存状況>半壊。 
遺物概要
町報17(弥生土器(畿内第V様式)+土師器(二重口縁壺)+須恵器+陶磁器ほか)。 町報18(縄文後期-縄文土器/弥生-弥生土器(畿内第V様式)/時代不詳-土師器(二重口縁壺)+須恵器+陶磁器ほか)。  集成、土師器(二重口縁壺+高杯ほか(布留式))+内行花文鏡2+画文帯環状乳神獣鏡1+方格規矩四神獣鏡類32以上+鉄剣十数+鉄刀7以上(素環頭大刀1)+鉄槍7以上+鉄鏃200以上+銅鏃19+花弁形装飾付鉄製品(冠か)1+竪矧板状鉄製品(有機質甲の引合板の可能性あり)2+札革綴冑1+鎌3+斧10(短冊型鉄斧5)+刀子17+削刀子7+ヤリガンナ7以上+ 錐8以上+鑿1以上+鉄製弧形尖頭器3+釣針1+扠十数(組合式2以上)。 町報21 (縄文-縄文土器(中津式ほか)/弥生-弥生土器(畿内第V様式)+土師器(壺+高杯+甕+器台)+須恵器+瓦器+陶磁器ほか) 歴博報56、長宜子孫内行花文鏡(鈕座<文字>「長宜子孫」</文字>、欠損27.7cm、1953年出土、京大蔵、(以下出土年・所蔵者は共通、注記無は完形))、 波文方格規矩四神鏡(銘帯<文字>「作同竟甚大工 上有山□不知老 服者長生買主壽羊」</文字>、18.2cm、)、 画文帯環状乳神獣鏡(半円方格帯<文字>「作明如光服者侯王九子」</文字>、13.8cm)、 三角縁銘帯三神五獣鏡(銘帯<文字>「張氏作鏡真巧 仙人王喬赤松子 師子辟邪少有 渇飲玉泉飢食棗 生如金石天相保兮」</文字>、22.4cm)、 同(銘帯<文字>「吾作明竟甚大好 上有神守及龍虎 身有文章□銜巨 古有聖人東王父西王母 渇飲玉〓飢食棗 壽如金石」</文字>、22.4cm)、 三角縁銘帯四神四獣鏡(銘帯<文字>「張是作竟甚大好 上有山□<間欠損>孫位至候王 買竟者富且昌」</文字>、21.8cm)、 同(銘帯<文字>「吾作明竟 幽律三剛 銅出徐州 彫鏤文章 配徳君子 清而且明 左龍身右虎 傳世右名 取者大吉 保子宜孫」</文字>、22.4cm)、 同(銘帯<文字>「吾作明竟甚大好 上有神守及龍虎 身有文章□銜巨 古有聖人東王父西王母 渇飲玉〓 五男二女 長相保吉昌」</文字>、22.4cm)、 同(銘帯<文字>「吾□□竟真大巧 上有仙人赤松子 □□□□□□有 渇飲玉泉飢食棗 壽如金石不知老兮」</文字>、23.6cm)、 同(銘帯<文字>「吾作明竟甚大工 上有王喬以赤松 師子天鹿其〓龍 天下名好世無雙」</文字>、19.7cm)2面、 三角縁銘帯四神二獣鏡(銘帯<文字>「陳是作竟甚大好 上有王父母 左有倉龍右白虎 宜遠道相保」</文字>、22.1cm)、同(銘帯<文字>「(陳氏作竟甚大好 上有戯守及龍虎 身有文章□)銜巨 古有(聖人王父母 渇飲玉泉飢食棗)」</文字>、破片)、 三角縁銘帯三神五獣鏡(銘帯<文字>「吾作明竟甚大好 上有神守及龍虎 古有聖人東王父 渇飲玉全飢食棗 壽如金石」</文字>、21.5cm)2面、 三角縁銘帯五神四獣鏡(銘帯<文字>「吾作明竟甚大好 上有東王父西母 仙人王喬赤松子 渇飲玉泉飢食棗 千秋萬歳不知老兮」</文字>21.5cm)、 三角縁画文帯五神四獣鏡(銘文なし、21.8cm)、三角縁唐草文帯四神四獣鏡(銘帯<文字>「天王日月(逆字)」</文字>、22.1cm)、 三角縁獣帯三神三獣鏡(銘帯<文字>「天王日月」</文字>、23.0cm)、 三角縁獣帯四神四獣鏡(銘帯<文字>「天王日月」</文字>、22.3cm)3面、同22.2cm、23.4cm、22.5cm、22.6cm、22.8cm、破片、各1面、 三角縁同向式四神四獣鏡(銘帯<文字>「天王日月」</文字>、22.4cm)、三角縁鋸歯文帯四神四獣(銘帯<文字>「天王日月」</文字>、23.3cm)、 三角縁獣帯二神二獣鏡(銘帯<文字>「天王日月」</文字>、22.1cm)、三角縁櫛目文帯四神四獣鏡(銘文なし、22.0cm)2面、 三角縁波文帯盤龍鏡(銘文なし、完形24.3cm)三角縁獣帯神獣鏡(銘文なし、破片21.5cm)、内行花文鏡(銘文なし、破片)、 伴出、刀子+工具+刀+剣+銅鏃+冑+甲 府Map2003、古墳前期前半-方格規矩鏡+三角縁神獣鏡+獣帯鏡+画文帯神獣鏡+縄文土器+土師器+鉄製武器+鉄製工具+漁具+甲冑。 
発掘概要
町内重要遺跡の範囲確認調査(国庫補助事業)。 集成、1953年、旧国鉄奈良線法面改良工事で発見され、京都大学が調査。1971年に岡山大学、1992年に町教委が墳丘調査。 府Map2003、1953年・1971年・1992年・1995年・1996年・1997年・1998年発掘。 
その他概要
LCb2/ON701/PN4810/。国指定史跡。 樋口隆康「山城国相楽郡高麗村椿井大塚山古墳発掘調査略報」(『史林』36-3、1953)。小林行雄『古墳時代の研究』(1961)。小林行雄『古鏡』(1961)。梅原末治「椿井大塚山古墳」府報23(1964)。近藤義郎ほか編『日本の考古学』IV・V(1966)。『京都大学文学部考古学資料目録』2(1968)。 小林行雄「三角縁神獣鏡の研究」(『京都大学文学部紀要』13、1971)。小林行雄『古墳文化論考』(1976)。田中琢ほか「鐸剣鏡」(『日本原始美術大系』4、1977)。田中琢「古鏡」(『日本の原始美術』、1979)。樋口隆康『古鏡』(1979)。王仲殊「関于日本三角縁神獣鏡的問題」(『考古』81-4、1981)。平良泰久・久保哲正ほか『日本の古代遺跡』27(1986)。 近藤義郎編「京都府山城町椿井大塚山古墳」(山城町報3、1986)。川西宏幸「国家の形成」(『山城町史』本文編、1987)。京都府立山城郷土資料館・丹後郷土資料館『鏡と古墳-景初四年鏡と芝ヶ原古墳』(1987)。京都大学文学部考古学研究室『椿井大塚山古墳と三角縁神獣鏡』(1989)。 岡村秀典ほか「椿井大塚山古墳と三角縁神獣鏡」(『京都大学文学部博物館図録』、1990)。上田正昭監修『山城町史』史料編(1990)。『前方後円墳集成』(和田晴吾、1992)。高橋克寿「冑か冠か-椿井大塚山古墳の鉄製品」(『史林』76-2、1993)。歴博報56(1994)。 中島正(第3次から第6次調査分)『山城町内遺跡調査概報IV・VI・VII・VIII』第11・17・18・19集(1993・1996・1997・1998)。樋口隆康『昭和28年椿井大塚山古墳発掘調査報告』山城町報20(1998)。中島正『椿井大塚山古墳』山城町埋文。中島正「椿井大塚山古墳」(『京都府山城町埋蔵文化財調査報告書』21、1999)。 『前方後円墳集成』、(有馬伸、2000)。(『京都府山城町埋蔵文化財調査報告書』29、2001)。「史跡椿井大塚山古墳保存管理計画策定報告書」(『京都府山城町文化財保存管理計画策定報告書』2、2002)。府Map2003、地図8、32(旧14)。 
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