『快天塚古墳周辺の遺跡』
登録遺跡数:2

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    『快天塚古墳周辺の遺跡』
    登録遺跡数:2

    簡単な説明
    丸亀平野の最奥部は、大高見峰(標高504m)・猫山(標高468m)・城山(標高275m)の連山を源とする大束川が分流し、西から大束川、中大束川、東大束川の3水系を形成する。これらの水系にある沖積平地のまわりに早くから古墳が築かれた。  古墳出現期の3世紀には、中大束川水系に平尾古墳群や石塚山古墳群が登場し、讃岐の古墳時代の幕開けを宣明した。古墳時代前期の4世紀には、東大束川水系に当時として讃岐最大の快天山古墳が登場した。ところが古墳時代中期には、古墳造営が低調になる。
    詳しい説明
    この神社の鎮座する丘の下には縄文時代から人が住み、弥生・古墳時代と継続して成長していった集落があったことが国道32号バイパス工事に伴う発掘によって分かっています。この佐古川・窪田遺跡は、大束川の支流の中大束川の東岸に位置します。発掘報告書によると
    ①縄文時代後期の土器が出土することから縄文時代後期~晩期には縄文人が居住していたこと
    ②弥生時代前期の竪穴住居跡の炉跡から「炭化した籾」が出土しており、大束川経由で伝わった稲作がここでは早くから始まっていること、そして掘立柱建物跡、溝状遺構を持つ「環濠集落」へ成長します。
    ③弥生時代前期後半~中期初頭には周辺に周溝墓群が作られ始めます。これが古墳へと成長していくプロセスがうかがえます。
    ④さらに弥生時代後期には住居が増加し「環濠を備えた拠点的と考えられる集落跡」へ成長していきます。
    ⑤それが古墳時代前期には、快天山古墳の造営につながっていきます。
    ここは、一大モニュメントある快天塚古墳を築造した首長に関係する集落です。
    ⑥その後も、この集落の首長達は周辺にいくつもの古墳群を築きます。
     佐古川・窪田遺跡のすぐ南側の丘陵地には石塚山古墳群、南側の丘陵地帯では平尾墳墓群、定連池東墳墓群等です。
    つまり、ここは縄文から古墳に架けての集落の成長がSTORYとして語れる遺跡なのです。また、周溝墓から古墳へのプロセスも追うことが出来ます。

    作成者
    名無しの歴史好き
    更新日時
    2018年11月23日 11時35分

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