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旧石器

旧石器
縄文

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弥生

弥生
古墳

古墳
飛鳥白鳳

飛鳥白鳳
奈良

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平安

平安
古代細分不明

古代細分不明
鎌倉

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南北朝

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室町

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戦国

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中世細分不明

中世細分不明
安土桃山

安土桃山
江戸

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近世細分不明

近世細分不明
明治

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大正

大正
昭和

昭和
平成

平成
近現代細分不明

近現代細分不明
不明

不明

最新の名前をつけて保存した遺跡グループ (名前をつけて保存した遺跡グループをもっと見る

甘木山古墳群』 登録遺跡数:9 某歴史好き 2018年12月4日 9時25分
福岡県大牟田市の北部にある甘木山の甘木公園内に残っている6世紀末~7世紀初めの古墳です。公園内の道路わきになどに7基が残っています。 せっかくなので、グループでまとめてみました。
快天塚古墳周辺の遺跡』 登録遺跡数:2 名無しの歴史好き 2018年11月23日 11時37分
丸亀平野の最奥部は、大高見峰(標高504m)・猫山(標高468m)・城山(標高275m)の連山を源とする大束川が分流し、西から大束川、中大束川、東大束川の3水系を形成する。これらの水系にある沖積平地のまわりに早くから古墳が築かれた。  古墳出現期の3世紀には、中大束川水系に平尾古墳群や石塚山古墳群が登場し、讃岐の古墳時代の幕開けを宣明した。古墳時代前期の4世紀には、東大束川水系に当時として讃岐最大の快天山古墳が登場した。ところが古墳時代中期には、古墳造営が低調になる。
快天塚古墳周辺の遺跡』 登録遺跡数:2 名無しの歴史好き 2018年11月23日 11時35分
丸亀平野の最奥部は、大高見峰(標高504m)・猫山(標高468m)・城山(標高275m)の連山を源とする大束川が分流し、西から大束川、中大束川、東大束川の3水系を形成する。これらの水系にある沖積平地のまわりに早くから古墳が築かれた。  古墳出現期の3世紀には、中大束川水系に平尾古墳群や石塚山古墳群が登場し、讃岐の古墳時代の幕開けを宣明した。古墳時代前期の4世紀には、東大束川水系に当時として讃岐最大の快天山古墳が登場した。ところが古墳時代中期には、古墳造営が低調になる。
西馬場散田遺跡 古墳 』 登録遺跡数:1 名無しの冒険家 2018年10月28日 17時0分
石川県鹿島郡中能登町西馬場/散田
小代氏関連遺跡』 登録遺跡数:37 某歴史好き 2018年8月15日 23時42分
鎌倉時代~戦国時代にかけて、野原荘(荒尾市、長洲町、玉名郡岱明町の一部)を支配していたとされる、小代氏関連の遺跡、遺物をまとめたもの。 城跡がメインですが、石塔(五輪塔)、寺社なども含みます。 城跡に関しては、城跡と推定される場所も含んでいます。 少ししか回れていなのでちまちま埋めていく予定です。

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見瀬城
見瀬城 名無しの冒険家 2019年5月23日 9時37分
貝守館横 中村式部尉勝氏墓標のイチョウと地蔵堂
貝守館跡
貝守館跡 名無しの冒険家 2019年5月13日 18時55分
貝守館横 中村式部尉勝氏墓標のイチョウと地蔵堂
貝守館跡からみる貝守のイチョウ
貝守館跡
貝守館跡 名無しの冒険家 2019年5月13日 18時52分
貝守館跡からみる貝守のイチョウ

貝守館跡
貝守館跡 名無しの冒険家 2019年4月30日 22時39分

建長の塔
建長の塔 青少協 2019年4月25日 19時18分

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[ 上志津大塚1号墳 ] 村恵 2019年5月26日 12時27分
不思議不思議 何か面白い 昔昔何があつたのか
[ 奥鶴古墳 ] 名無しの冒険家 2019年4月16日 20時7分
径100余歩の前方後円墳で地元では「かみんこばか」・・・(神の子墓?)と呼ばれて居ます。
[ 勝瓜南原古墳群 ] 名無しの冒険家(井頭山人) 2019年3月7日 9時9分
現況の勝瓜古墳群は、ソーラーパネルの設置の為に、クヌギの林は伐採され土を掘り起こされて、古墳自体は存亡の危機に晒されている。過って、昭和20年1月5日と7日に、地元の考古研究者である佐藤行哉氏よって為された踏査調査によると、勝瓜古墳群は、方墳から前方後円墳そして円墳へと、比較的密集した土地に16基が手書きの地図に記載されている。手元の資料を見ると、長くクヌギ林の中に静かに存在していたが、それでも大正14年頃には、庭石を求める発掘盗掘が行われ、古墳の横や上方が堀荒らされた跡があると、佐藤行哉氏のノートには記録されている。当時も古墳を破壊しても玄室の石を取ろうとする、邪な連中は居たのである。この事からも、すでに破壊の跡があると思われる。 また、なぜこの鬼怒川左岸の河岸台地に多くの古墳が密集して居るのかについては、正しい根拠が不明だが、此処は西の開けた風光明媚な土地で有り、被葬者の浄土へのあこがれがこの土地を選ばせた可能性は多々ある。ところが、この河岸台地は鬼怒川の川面から25m~30mの台地であり、調べたわけではないが、年に数センチのレベルで崩れて後退している。前方後円墳の造営が6世紀だとすると、現在では約1500年の歳月が経過している。年平均3cm後退すると、当時から45mは崩れ落ちている。5cmとすると75mも後退している。事実、佐藤行哉氏の踏査時には、ある前方後円墳は縦に半分ほどが、鬼怒川の川面に崩落して居る様に見取り図には描かれており、玄室の巨石の一部は川原に転がり落ちている可能性は大であり、時間がないので調査できずにいるが、出来るだけ早い時期に調べてみる必要があろう。(井頭山人)
[ 太田長作遺跡 ] 村恵 2019年2月2日 5時59分
田畑ばかり
[ 小原山興法寺跡 ] mm3610 2018年12月15日 21時28分
五輪塔を確認しました。(2016.9.10と2017.03.19) 2017年3月の当日、お寺の本堂の周りには残雪がありました。(この年の雪の量は多かったようです)
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